2017.10.19 Thursday | 連載・木のスプーン作り

木のスプーン作り・その1 「私が木工をはじめるまで・前半」

スプーン
 写真:岡本さんが作ったミズナラ、ヤマザクラなどのスプーン。

はじめまして。岡山県で木のスプーン作りをしている岡本友紀子と申します。

作り手としてまだまだ未熟で若輩ものですが、光栄にもブログ掲載の機会を頂戴しました。作り手として日々の作業で感じたことなどをご紹介させていただきます。

連載1回目は私が木のスプーンを作ることになった、事の始まりをご紹介したいと思います。恩師である時松辰夫先生(アトリエときデザイン研究所代表)との出会いなしに今の私はないといっても過言ではないからです。

木に関わる仕事がしたいと思い、環境造園系の大学に社会人学生で飛び込んだものの、卒業する頃は不況のただ中にあり、木とは関係のない仕事に就き、ひたすら稼ぐためだけの日々を送っていました。どうにか自分の殻を破りたくて、草刈りボランティアに参加したことがあります。地域の人達と汗を流しながら作業をした時、草刈りでしかお手伝いできない自分にもどかしさを感じました。もっと直に、自然豊かな地域を活かすお手伝いができる自分になりたいと漠然と思っていました。

ちょうどそのころ勤め先が閉鎖されることになり、次の仕事先を探している時、偶然、『季刊地域(農文協 2010年5月号)』という雑誌を手に取りました。そのなかで時松辰夫先生について紹介されているページがありました。文は民俗研究家の結城登美雄氏です。紹介文には、どんな木でも暮らしをよくする道具になり、無駄な木はひとつもないことを、東北地方で長年実践的に指導してきた日本一の木工ロクロ師として時松先生を紹介していました。

記事を読んで体が熱くなったことを今でも覚えています。この人の考えをもっと知りたいと思いました。しかし時松辰夫氏についてネットで調べても情報はわずかで、これは直接会いに行ってお話を聞いてみるよりないと、湯布院の工房に行くことにしました。私はすぐに手土産を持って湯布院の時松先生を訪ねました。

湯布院
写真:アトリエときがある湯布院から由布岳を望む。

湯布院に行くまで自分自身が作り手になるとは思ってもいませんでした。頭でっかちで不器用で、責任を負うことが嫌いで、人から批判されることが怖くて、逃げることばかり考えていた人間でした。いい年をして変なものを作って恥をかきたくない。もう若くもなく、そして力も強くない、女の私に木の世界でもの作りをできるわけがないと思っていました。ただ、お会いして、今後の生き方のヒントをもらえればそれでいいと思って行きました。

お会いした時松先生は、手の復権について語りかけてくれました。年齢や、男や女は関係ない。手は、奪うのではなく活かす。生み出すことができるのだと話してくださいました。必要なことは、やってみようと決断することだけだと。

修行時代
写真:修業時代のひとコマ。右が師匠の時松辰夫先生。

時松先生は決して大きな声で話す方でなく、やさしく穏やかな語り口なのですが、言葉のなかに確かな芯を感じさせる方です。そして、工房のショップで手に取った木のスプーンの美しさと、すべすべした手触りのよさに驚きました。私も木のスプーンを作れるようになりたいと強く感じました。自分の手でなにかを生み出すということを一度だって考えたことがなかった私は、湯布院を去る時には先生から木のスプーンづくりをゼロから教えていただこうと考えていたのでした。(後半に続く)

文・写真:岡本友紀子(木のスプーンゆきデザイン工房代表)



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