2017.12.06 Wednesday | 連載・木のスプーン作り

木のスプーン作り・その3 「工房の開設準備・塗装道具編」

本連載は、木固めエース普及会事務局のあるモノ・モノのウェブサイトに場所を移しました。次回以降の記事はこちらをごらんください。

アトリエときでの研修を終えた私は、実家のある岡山市に戻り、その年の2016年12月に工房をかまえました。たまたま実家の庭に、使われていない納屋があったので、そこを改装することにしました。

自己資金だけでは工事費が足りなかったため、補助金や融資制度を調べ、市役所の担当課や商工会などへ回り情報を集めました。小さな工房ですが、長く続けることを考えると、設備をしっかりしたものにするため、金融機関からお金を借りる必要がありました。

正直なところ、借金はなるべくしたくなかったのですが、借金も財産と聞き、融資の申請をすることにしました。そう決めてよかったと今は考えています。借金したおかげで、私はこの仕事でやっていくと腹をくくることができました。月々の返済をしなければならないことがエネルギーの源になっている気がします。

写真:岡本さんの工房の写真。実家の納屋を改装した。

工房には大型の工作機械もあります。周囲は住宅のため、夜間での作業を考えると、壁や天井に防音シートを貼り、防音対策はしっかりしました。改装費や機械以外に、小物や消耗品に費用が予想以上にかさみました。何もないところから始めたので、椅子や箒(ほうき)など細々したものなどチリも積もればかなりまとまった金額になり、ちょっと驚きました。

木工の道具をそろえる際は、時松辰夫先生の著書『山村クラフトのすすめ』(社団法人全国林業改良普及協会)は必読書でした。作業に使用する小物類を一覧表にまとめているページがあり、とても助かりました。

写真:時松辰夫著『山村クラフトのすすめ』には独立に必要な木工道具類が詳細に記してある。

準備のなかで一番手間取ったのは、スプレー塗装に使うエアホースの配管です。塗装作業に欠かせない設備です。

「エアコンプレッサー(空気圧縮機)」→「トランスフォーマー(コンプレッサーから来るエアを調整する減圧弁)」→「スプレーガン」の各機械をエアホースでつなげるのですが、ジョイントの仕方がわからなくて困りました。素人に出来るかどうかとても不安でした。かといって業者に頼むお金は残っていませんでした。するりとした手触り、水に強く長年の使用に耐えうることなどを考えると、スプレーガンでの塗装をしない選択肢はありませんでした。

エアスプレー塗装で仕上げた様々な種類の木のスプーン

必要に迫られ手探りしながら自分で、エアホースの配管を行いました。どこに頼ればいいのかわからなかったので、最初に向かったのは近所の金物屋さんです。エアホースやジョイント金具を取り扱っている金物屋さんが市内に2カ所あり、教えてもおうとたずねました。どちらからもわからないという返事でした。

次に、ネットで塗装機器を扱っている業者さんにメールして教えてもらおうと考えました。これはうまく行きました。ジョイント金具のことをカプラと呼ぶことや、カプラにもナット型など種類があること、オスとメスがあることなど、説明を受けながらやりとりし商品を購入すると、こちらが冷やかしではないということが先方にも伝わり、親切に教えてもらうことができました。

1カ所だけの情報では不安だったので、念のためメーカーにもメールしました。トランスフォーマーとスプレーガンのメーカーにメールし、コンプレッサーの規格や配置などを伝え、間違いがないか確認しました。先方からすると迷惑な問い合わせだったと思いますが、丁寧に答えてもらうことができました。

各所の協力を受け、エア配管が完成したときはうれしかったです。これで本格的に稼働できるようになって一人前になれたような気がしました。

写真:エアコンプレッサーは中古品を購入。購入価格は10万前後前後。
写真:トランスフォーマーは新品で購入。購入価格は2万円前後。
写真:スプレーガンも新品で購入。購入価格は1万5千円前後。
写真:エアホースの接続には専用のカプラという部品が必要。

次回のブログでは工房開設のために購入した、スプーン作り関連の工具類をご紹介します。

文・写真:岡本友紀子(木のスプーンゆきデザイン工房代表)


2017.11.13 Monday | 連載・木のスプーン作り

木のスプーン作り・その2 「私が木工をはじめるまで・後半」

2015年4月、私は時松辰夫先生の工房(以下アトリエときと略)の研修生になりました。それから1年4ヶ月の間、時松先生の背中を通して様々なことを学びました。

時松先生
 写真:師匠の時松辰夫先生は、木工ろくろのスペシャリスト

工房の作業、ショップでの販売接客、掃除や料理(アトリエときでは朝昼晩の3食を当番制で作ることになっている)など、いろんな経験をさせていただきました。しかし、素人のうえに、そそっかしい性格だったので、たくさんの失敗で迷惑をかけてしまいました。木材を使いすぎて無駄にしたり、大切な木のお椀を落としてしまったりして落ち込んだこともあります。

そのほか、湯布院の町のイベントにスタッフとして参加し、住民の方達との交流もありました。時松先生をはじめ、湯布院に暮らす方たちの土地を愛し、大切にする気持ちには何度もおどろかされました。

 写真:アトリエときの倉庫で保管・乾燥中の器の材料(木地)。

木工技術だけ教えてもらうのでなく、朝から晩まで時松先生と日常生活をともにすることで、昔でいう、師匠と弟子の関係を築けたのは幸運でした。同じものを食べ、見て、聞いて、何を感じ、どう考えるのかを肌で感じることができました。一つのお椀を見て、形としてどこがよいのか、そうでないのかなど、先生のひとり言を聞くのは楽しい時間でした。日常の様々な場面を通して、目の前のことだけでなく全体を見ることの大切さをわかりなさい、と教えられたように思いました。

昨年、私は研修を終えてアトリエときを卒業しました。満を持して卒業したというよりは、もうちょっと勉強させてほしい・・・と、後ろ髪をひかれる気持ちで故郷の岡山に戻りました。戻ってすぐ工房を開設し、失敗をたくさんしました。冷や汗をかくことも、悶々と苦悩することもあります。希望にあふれ挑戦してきたつもりですが、これからのことを考えると不安もあります。

アトリエとき店舗
 写真:大分の温泉町、湯布院にあるアトリエとき(店舗)の外観。

最近気づいたことは、自分だけよければよいという考えでは続けていけないということです。アトリエときに入る前は、自分のことだけで精一杯の人間でした。生きていくためには仕事でお金を稼がなくてはなりません。

でも、自分だけ稼ぐことはできません。どんなに頑張ってよいものを作っても、木のスプーンを見て、素敵だな、とか、使ってみたいな、とか、感じてもらえるだけの気持ちのゆとりのある人がいないと私の仕事は成立しません。そのためには社会全体が生き生きと元気であってほしいと思います。そして、多くの人に素敵な木のスプーンで食事をして、もっと心豊かな毎日を過ごしてもらいたいと考えるようになっています。昨日よりもっと使いやすいスプーンを作ろうと毎日思います。

以前であれば自分と社会は、こちらとあちらで分かれていたのが、今は自分と社会が一つになって考えられるようになってきています。アトリエときに入る前とまるで自分の考えが変化し、ちょっとは人間の熟度が深まっているように感じ、少しだけ自分をほめてあげたい気持ちになります。

以前、時松先生は「木工は究極の平和産業」と言っておられました。その時はあまり深く考えていなかったのですが、社会の中での木工芸の立ち位置に気づきなさい、ということだったのかなと感じています。研修生のときだけでなく、独立してからも時松先生の仕事に向かう姿勢や考え方に気づかされ、教えられています。

木の葉皿
 写真:杉の寄せ木で木の葉をデザインした、時松先生の代表作

1年あまりの短い研修期間でしたが、3年から5年分くらいの充実した時間を過ごすことができました。時松先生に出会い、アトリエときで木工というものづくりの道の入り口に立ち、スタートできたことに感謝しています。時松先生とのエピソードは今後も折に触れてご紹介させていただきます。

次回のブログでは工房開設までのいきさつをお伝えします。

文・写真:岡本友紀子(木のスプーンゆきデザイン工房代表)


2017.10.19 Thursday | 連載・木のスプーン作り

木のスプーン作り・その1 「私が木工をはじめるまで・前半」

スプーン
 写真:岡本さんが作ったミズナラ、ヤマザクラなどのスプーン。

はじめまして。岡山県で木のスプーン作りをしている岡本友紀子と申します。

作り手としてまだまだ未熟で若輩ものですが、光栄にもブログ掲載の機会を頂戴しました。作り手として日々の作業で感じたことなどをご紹介させていただきます。

連載1回目は私が木のスプーンを作ることになった、事の始まりをご紹介したいと思います。恩師である時松辰夫先生(アトリエときデザイン研究所代表)との出会いなしに今の私はないといっても過言ではないからです。

木に関わる仕事がしたいと思い、環境造園系の大学に社会人学生で飛び込んだものの、卒業する頃は不況のただ中にあり、木とは関係のない仕事に就き、ひたすら稼ぐためだけの日々を送っていました。どうにか自分の殻を破りたくて、草刈りボランティアに参加したことがあります。地域の人達と汗を流しながら作業をした時、草刈りでしかお手伝いできない自分にもどかしさを感じました。もっと直に、自然豊かな地域を活かすお手伝いができる自分になりたいと漠然と思っていました。

ちょうどそのころ勤め先が閉鎖されることになり、次の仕事先を探している時、偶然、『季刊地域(農文協 2010年5月号)』という雑誌を手に取りました。そのなかで時松辰夫先生について紹介されているページがありました。文は民俗研究家の結城登美雄氏です。紹介文には、どんな木でも暮らしをよくする道具になり、無駄な木はひとつもないことを、東北地方で長年実践的に指導してきた日本一の木工ロクロ師として時松先生を紹介していました。

記事を読んで体が熱くなったことを今でも覚えています。この人の考えをもっと知りたいと思いました。しかし時松辰夫氏についてネットで調べても情報はわずかで、これは直接会いに行ってお話を聞いてみるよりないと、湯布院の工房に行くことにしました。私はすぐに手土産を持って湯布院の時松先生を訪ねました。

湯布院
写真:アトリエときがある湯布院から由布岳を望む。

湯布院に行くまで自分自身が作り手になるとは思ってもいませんでした。頭でっかちで不器用で、責任を負うことが嫌いで、人から批判されることが怖くて、逃げることばかり考えていた人間でした。いい年をして変なものを作って恥をかきたくない。もう若くもなく、そして力も強くない、女の私に木の世界でもの作りをできるわけがないと思っていました。ただ、お会いして、今後の生き方のヒントをもらえればそれでいいと思って行きました。

お会いした時松先生は、手の復権について語りかけてくれました。年齢や、男や女は関係ない。手は、奪うのではなく活かす。生み出すことができるのだと話してくださいました。必要なことは、やってみようと決断することだけだと。

修行時代
写真:修業時代のひとコマ。右が師匠の時松辰夫先生。

時松先生は決して大きな声で話す方でなく、やさしく穏やかな語り口なのですが、言葉のなかに確かな芯を感じさせる方です。そして、工房のショップで手に取った木のスプーンの美しさと、すべすべした手触りのよさに驚きました。私も木のスプーンを作れるようになりたいと強く感じました。自分の手でなにかを生み出すということを一度だって考えたことがなかった私は、湯布院を去る時には先生から木のスプーンづくりをゼロから教えていただこうと考えていたのでした。(後半に続く)

文・写真:岡本友紀子(木のスプーンゆきデザイン工房代表)


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